新田神社(自転車:11分)
新田神社は、新田義興公の御霊を鎮めるために、村老等によって墳墓が築かれて社祠が建てられ、『新田大明神』
として広く崇め奉られました。
江戸時代に入ると、将軍徳川家の祖先がこの新田家であるということより、松平家から「新田大明神縁起絵巻物(都文化財)」
や「新田神君碑(大田区文化財)」の奉納などもあり、武運長久の守り神として、武家信仰の神社として栄えました。
その後、蘭学者である平賀源内が新田神社に参拝して、境内の不思議な篠竹で厄除開運・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作り、
広く御祭神の御神徳を仰がしめることを勧めました。
また、源内はこの新田神社の縁起をもとに浄瑠璃・歌舞伎「神霊矢口渡」を脚色し、江戸庶民の新田詣が始まりました。
現在でもこの「神霊矢口渡」の一部分が各地の歌舞伎場などで
上演されています。
| 観蔵院(徒歩:6分、自転車:2分)
真言宗智山派寺院の観蔵院は、峯松山正善寺と号し、創建年代は不詳ですが、鵜の木光明寺が真言宗寺院であった頃、
その加行道場として創建したと伝えられ、鵜の木光明寺は寛喜年間(1321−1332)に浄土宗に改宗していることから、
1332年以前に創建したと考えられます。中興3世順宥が三河国鳳来寺より勧請した薬師如来が”峯の薬師”
として江戸時代に崇敬を集めたといいます。明治時代に一旦廃寺となったものの、大正11年(1922)6月に檀徒の熱望により再興、
羽田の廃寺観蔵院の寺号をうけついで、観蔵院と称するようになりました。
また、玉川八十八ヶ所霊場57番、東海三十三観音霊場29番です。
|
| 東光院(徒歩:16分、自転車:6分)
真言宗智山派寺院の有慶山東光院は、玉川八十八ヶ所霊場55番で、開創の年代は明らかではないが義賢和尚(文禄3年1594年寂)
が創建したといわれ。鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の妻の北条政子の守り本尊と伝えられる木造の聖観世音菩薩像が、
明治時代にそれまで保存されていた多摩川浅間神社から移され、安置されている。東急多摩川線沼部駅の北、徒歩2分。
山門を入ると正面に新橋色の本堂の屋根がひときわ美しく輝き、春には境内や表の通りの桜が美しい。
|
| 光明寺(徒歩:16分、自転車:6分)
浄土宗寺院の光明寺は、大金山宝幢院と号し、本尊は阿弥陀三尊で、天平年間(729〜749)に行基が開創、のち弘仁年間(810〜824)に、
空海が再興して、関東高野山宝幢院と称したと伝えられる名刹です。
寛喜年間(1229〜1232)になって、浄土宗西山派の祖、善慧証空が再興して浄土宗にかわり、関東弘通念仏最初の道場となり、
大金山宝幢院光明寺と称するようになりました。
また、120基に及ぶ板碑(いたび)<板石状の卒塔婆>が出土しています。
板碑は誰でも造れるものでなかったらしく、地頭や豪族クラスにしか持つことが出来ないものでした。
このことからも光明寺が豪族クラスの菩提寺であったことが推察されます。
|
| 多摩川浅間神社(徒歩:22分、自転車:9分)
多摩川浅間神社は、鎌倉時代の文治年間(1185年〜90年)に創建と伝えられています。右大将源頼朝は豊島郡滝野川松崎に出陣しました。
夫の身を案じた妻政子は、後を追ってここまで来ましたがわらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川の川畔で傷の治療をすることになり、
逗留のつれずに亀甲山(かめのこやま)に登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見えました。富士吉田には、
自分の守り本尊である「浅間神社」があり、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」
をこの丘に建てました。村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び長く尊崇しました。
承応元年(1652年)5月浅間神社の表坂土どめ工事をしていた時、九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘されました。
多摩川で泥を洗い落としてみると、片足がありません。そこで足を鋳造してお祀りし、6月1日に神事を行いました。
以来、ご祭礼は6月に行なわれております。
|
| 皇居(電車)
毎年1月2日に皇居で行われている、新年一般参賀に参加せて頂き、天皇陛下の新年の御言葉を拝聴するのが私の新年の行事です。
新年一般参賀は皇居正門(二重橋)から参入し,宮殿東庭で天皇陛下のお言葉を拝聴し、坂下門、桔梗門又は乾門から退出することとなります。
また、皇居一般参観に応募し、皇居内の富士見櫓,宮殿の外観及び二重橋などを参観させて頂きました時のスナップ写真です。
春秋季皇居乾通り一般公開や秋季皇居乾通り一般公開にも参加させて頂きスナップ写真を公開したいと思っています。
|
| 馬事公苑(自転車:54分)
馬事公苑は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手養成所が置かれており、1982年に競馬学校が開設されるまでは中央競馬の騎手の
養成が行われていました。
現在はJRA馬事公苑馬術大会のような統合的な競技会のほか東京馬術大会などの馬術競技、キャロット・ステークスなどの障害飛越馬術競技、
ホーストライアルなどの総合馬術競技、近代五種日本選手権大会馬術競技といった各種専門馬術競技会が定期的に開催されており、
関東における主要な馬術競技会場となっており、5月3日〜5日には、JRA馬事公苑馬術大会としての馬場、
障害飛越競技に加えて警視庁第三方面交通機動隊騎馬隊やアンダルシアン種馬演技の供覧といった馬事普及の活動を行っています。
|
| 次太夫堀公園(自転車:55分)
徳川家康の命により、慶長2年(1597年)より多摩川の両岸に開削された2つの用水のうち、多摩川郡和泉村(現狛江市)から、
六郷領(現大田区)至る六郷用水(総延長:23.2q)の別称で、開削者小泉次太夫(いずみじだゆう)の名をとり世田谷領では
次太夫堀と呼ばれている。
現在、当地では元の見当たらないが次太夫堀公園・民家園として江戸時代の民家や田園風景、生活用品が展示されており、
多摩川用水に関する資料等も多く保管・展示されていてとても興味深い施設です。
|
| 多摩川台公園(徒歩:22分、自転車:9分)
多摩川台公園のある台地は武蔵野台地の南端部にあたり、冬期には晴れていれば正面に富士山がよく見え、その手前に左は大山から塔ノ岳、
蛭ヶ岳へとのびる丹沢山地が右の山裾まで見渡せます。その右には一度落ちた稜線の先に再び滝子山が立ち上がり、
稜線が大菩薩連嶺に連なり、条件の良いときは大山の左に箱根の山々が遠く見えさらに条件が絶好のときは滝子山のすぐ左に
南アルプスの間ノ岳から農鳥岳にわたる白い稜線を見ることが出来ます。桜の木も多く、春には桜の名所として知られてます。
1953年に東京都立多摩川台公園として整備され、1975年に区に移管されて大田区立多摩川台公園となって古墳の2つの大型前現在に至ってます。
園内には水生植物園・展望広場・運動広場・古墳展示室・自由広場・山野草のみちや亀甲山古墳と宝莱山方後円墳と8基の円墳からなる
多摩川台古墳群が並んでいて公園を散策すことが出来ます。
|
| 松濤園(徒歩;51分、自転車:16分+徒歩:8分)
池上本門寺の北側に位置する松濤園は、本門寺旧本坊の奥庭として、桂離宮の建築と造園で名高い小掘遠州によって造園されたと伝えられています。
作庭に当たり、湧き水が出る池を中心に、遠州茶道の極意を具現化するために4千坪の敷地の各所に茶室を配し、
来賓者が回遊する屈指の名園と成りました。池の周囲には洲浜・織部井戸・船付場・鶴島・亀島・魚見岩・太鼓橋などを設え、
滝口方面に渓流と渓谷・沢渡り・滝見橋・松濤の滝などが造られています。
また、園内で西郷隆盛と勝海舟との江戸城無血開城の会見が行われ隆盛の弟西郷従道が揮毫した両雄会見碑や、
橋本雅邦先生筆塚などがあり、東京都史跡指定を受けています。
|
| 山王草堂・尾崎記念館(自転車:35分)
徳富蘇峰は日本最初の総合雑誌「国民之友」を発行、続いて「国民新聞」を創刊した人物です。
蘇峰の代表作である『近世日本国民史』は、1918年56歳のときに着手され、1952年に完結しました。
全100巻のうち半分以上が大森山王時代に書かれたものです。
蘇峰は1924年この地に移り住み、1943年熱海伊豆山に移るまでの間、山王草堂と称して暮らしました。邸内には、
蘇峰の収集した和漢書10万冊におよぶ成簣堂文庫(せいきどうぶんこ)が設けられていました。
山王草堂記念館は、1986年に静岡新聞社から大田区が蘇峰の旧居を譲りうけ、1988年4月に開館しました。
園内にあるカタルパの木は、和名をアメリカキササゲといい 蘇峰の生涯の師であり、同志社大学の創立者である新島襄ゆかりの木です。
毎年5、6月には香りの良いベル形の白い花をつけます。
|
| 西郷山公園(自転車:57分)
西郷山公園一帯は江戸時代は豊後竹田城主・中川氏の抱え屋敷であったところで、
特に当家の回遊式庭園は名所として当時の地誌にも載っていました。
明治時代になって西郷隆盛の実弟・西郷従道が兄隆盛の再起を願って当地付近を購入したが、
西南戦争により隆盛が他界したためそれが実現されず、従道自身の別邸として利用されることになった。
その後西郷家は1941年に渋谷に移転した為、当時の鉄道省の手に渡った。
また第二次世界大戦の空襲により和館が焼失するなど次第に西郷邸があったころの面影は薄くなっていった。
なお残された洋館は1963年に愛知県犬山市にある明治村に移築され、現在は国の重要文化財にる。
指定されてい邸宅跡地の一部分が公園として整備され、付近の通称であった「西郷山」の名を付した公園として1981年5月28日に開園しました。
|
| 西嶺高砂公園(徒歩:5分)
高砂公園は「嶺村の高砂」と呼ばれていたことが命名の由来です。閑静な住宅街にあって、丘陵を利用した高低差のある公園で、
北側は武蔵野の雑木林をそのまま残し、周りは石垣できれいに整備されており、その合間にシダやツワブキを植えてあり
10月の終わりから11月の初めにかけて可憐な花が見られます。
上部は小高い丘となり、見晴らしが良く。南側の上部は梅園になっている。公園入口にはねむの木があり6月には花が咲きます。
武蔵野の雑木林そのままになっており、夏は蝉取りもできます。
|
| 宝来公園(自転車:12分)
宝来公園は、多摩川の沿岸旧荏原郡下沼部付近の丘陵に位置し、付近には亀甲山古墳をはじめとする多くの遺跡に富んでます。
園内には約70種1500本の樹木が繁り、四季折々の自然の美しさは、今も、武蔵野の面影を残しています。大正14年、
田園都市の開発に際し、武蔵野の自然を保存し、永く後世に残すために、田園調布鰍ヘ、街の一画(汐見台)を公園用の広場として残しました。
その後、田園調布会に贈られ、昭和9年10月東京市に寄附されました。
東京市はさらに整備し、昭和11年に「宝来公園」として開園しました。その後、大田区に移管されて現在に至っています。
|
| 有栖川宮記念公園(自転車:56分)
この地は、江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷として使われていました。1896年有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと)
親王の新邸造成の御用地となり。有栖川宮が廃絶して後は、大正天皇は第三皇子光宮宣仁(てるのみやのぶひと)親王に、
有栖川宮の旧称高松宮の称号を賜り、その御祭祀をお継ぎになります。
その後、児童福祉を目的とする遊び場に深い関心を寄せられていた高松宮殿下は、故有栖川宮威仁親王の20年のご命日にあたる
1934年に東京市に賜与され、記念公園として一般開放されました。
北東部を編入し、1975年には港区に移管されて、区立公園となり多くの人に親しまれています。管理事務所近くには、
この公園とも縁の深い、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像が建っています。
|
| 増上寺(自転車:52分)
空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身という。
その後室町時代の1393年、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗した。この聖聡が、実質上の開基といえる。
中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では1590年徳川家康が江戸入府の折、
たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけという。
貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、1598年家康によって現在地の芝へ移され、徳川家の菩提寺なり、
檀林(学問所及び養成所)がおかれ、関東十八檀林の筆頭となった。明治時代には大教院神殿が置かれた。
1874年1月1日排仏主義者により放火される。徳川幕府の崩壊、明治維新後の神仏分離の影響により規模は縮小され、
境内の広範囲が芝公園となる。太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟、五重塔をはじめとした遺構を失う大きな被害を受けた。
東京タワーの建設時、増上寺は墓地の一部を提供している。
|
| 総持寺(自転車:52分)
総持寺は、能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、前身で、1321年(元亨元年)曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、
「諸嶽観音堂」への入院を住職の定賢から請われる。また同年に定賢より「諸嶽観音堂」を寄進され、寺号を「總持寺」、
山号は「諸嶽山」と改名し禅院となる。1322年(元亨2年)後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、
大本山となり、曹洞宗を公称する。1615年(元和元年)徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となる。
1898年(明治31年)火災で焼失する。1911年(明治44年)に現在の地に移転しました。敷地面積は約50万uあり、境内には仏殿、
大祖堂をはじめ多くの堂宇があり、鶴見大学などの学校施設もある。
本尊釈迦如来像を安置する仏殿よりも、道元、瑩山紹瑾など歴代の祖師を祀る大祖堂の方が規模が大きいのが特色である。
|
| 多摩川(近点徒歩:4分、 自転車:分)
山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で、流域面積1,240kuの一級河川で、下流域は東京都と神奈川県の県境となっており、
川辺は野草や野鳥が数多く見られる自然豊かな第一級河川です。また川岸にはサイクリングロードがあり、種々の場所から富士山を眺めることができますが。
数年前に武蔵小杉の高層マンションが増築されて、高層マンションの間に見える夕闇の富士山の姿が見えなくなったのは残念です。
|
| 三ツ池公園(自転車:63分)
春の県立三ツ池公園は公園全体が桜色に染まります。78品種、およそ1600本の桜が楽しめることから「さくら名所100選」
にも選ばれるほどで、早咲きから遅咲きまでさまざまな桜を長く楽しむ事ができます。
公園の名前の由来ともなった三つの池は、江戸時代に灌漑用水池として利用されていました。
自然の起伏を活かした豊かな樹林や四季折々の花とともに、都会の中でありながら、ひと時の安らぎを与えてくれます。
|
| 代々木公園・明治神宮(自転車:74分)
代々木公園は、大日本帝国陸軍の代々木練兵場を第二次世界大戦敗戦後、ワシントンハイツとなり、
昭和39年の東京オリンピックでは代々木選手村として使用された後に再整備され、1967年(昭和42年)に代々木公園として開園されました。
隣接する明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社で、面積約70万uの境内は全国青年団の勤労<奉仕により造苑整備されました、
現在の深い杜は全国からの献木が植樹されました。また、本殿を中心に厄除・七五三などを祈願を行う神楽殿、
宝物殿(明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する所)、
武道場至誠館(御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する所)などがあります。
|
| 新宿御苑(自転車:35分)
江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があったところに明治39年に皇室の庭園として新宿御苑が誕生しました。
その後(戦後)、国民公園として、多くの方々に親しまれてきました。
広さ58.3ha、周囲3.5kmの庭園は、「日本庭園」「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」が有り、1万本を超える樹木、
特に65種・約1300本の桜は4月上旬には内閣総理大臣主催の「桜を見る会」が開催されるなど、花見の名所として観光客で賑わい
日本桜名所100選に選定されてます。また、11月上旬には環境大臣主催の「菊を観る会」が開催れる。
|
| 駒沢公園(自転車:35分)
東京ゴルフ倶楽部というゴルフコースを1953年にプロ野球東急(東映)フライヤーズの本拠地として、東京急行電鉄などが
建設した駒澤野球場として開設されたが、1964年の東京オリンピックの開催に伴いスポーツ公園として整備(サブ会場としてサッカー、
バレーボールなどを行う為)され、1964年に完成したスポーツ施設を備えた緑豊かな公園です。
2009年から毎年東京ラーメンショーの会場としても使用されています。
現在、2020年東京オリンピックに向けて、駒沢オリンピック公園総合運動場として、老朽化したスポーツ施設の改築中。
|
| 林試の森公園(自転車:39分)
林業試験場当時の樹木がそのまま残されており、ケヤキ、クスノキ、プラタナス、ポプラ、スズカケノキなどの巨木がある。
その他、カイノキ、トチュウ、シナユリノキ、チンタオトゲナシニセアカシア、ベニカエデ、ヒマラヤゴヨウ、
レバノンスギ等の外国産樹木やアベマキ、ハナガガシ、ニオイドロ、シマサルスベリ、ヨコグラノキ、ナナミノキ等の珍しい木があります。
木々には解説のプレートがつけられて判り易くなっております。
|
| 国立科学博物館 附属自然教育園(自転車:45分)
自然教育園は港区白金台、目黒駅より徒歩9分という立地条件にありながら、自然の面影を残す数少ない森です。
元は400〜500年前の中世の豪族の館とされ、江戸時代には高松藩主松平頼重の下屋敷、明治時代には陸海軍の火薬庫、
大正時代には宮内庁の白金御料地となり、一般の人々が中に入ることができなかったために、豊かな自然が残されました。
1949年に全域が天然記念物および史跡に指定されると同時に、国立自然教育園として一般に公開されました。
1962年に国立科学博物館附属自然教育園となり、できる限り自然の本来の姿に近い状態で残そうという考え方で運営されています。
|
| 洗足池(徒歩:45分又は自転車:17分)
洗足池は北千束の清水窪湧水などを主な水源とした淡水池のある公園です。
古くは歌川広重の名所江戸百景『千束の池袈裟懸松』にも描かれた水辺の景観の面影を今も残しています。
春は桜、秋は紅葉、冬は渡り鳥が飛来するなど四季を通じて楽しむことができます。
また池の周囲には、池月橋、水生植物園、勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛留魂碑、徳富蘇峰詩碑、名馬池月像などがあります。
|
| 東高根森林公園(自転車:53分)
川崎市のほぼ中央部に位置し、多摩丘陵の美しい自然を今に伝える公園です。園内には湿生植物園、ユリ園、古代植物園やシラガシ林、
クヌギ・コナラ林等があり、新緑から紅葉まで四季折々の草花を楽しことが出来ます。
また、弥生時代から古墳時代の竪穴式住居跡もあり。これらの自然及び史跡を含め県の天然記念物に指定されています。
|
六郷用水の草花(徒歩:5分〜自転車: 分)
六郷用水は、徳川家康の命によりつくられ、狛江市の取水口から二子玉川・上野毛・野毛・玉堤・田園調布・田園調布本町・西嶺町・
鵜の木・千鳥町・池上を通り六郷の田畑を潤す農業用灌漑用水路として開削されましたが、
近年の都市化に伴い一部は暗渠化されたり埋め戻されました。
そのあとに再現水路を造られたり、遊歩道が造られ市民のいこいの場となっております。
| 羽田空港(弁天橋まで自転車:55分、国際線旅客ターミナル:65分)
多摩川岸のサイクリングロードで約1時間。羽田空港が一望できる弁天橋たもに着きます。運動不足解消の為によく訪れます。
2013年10月2日16時29分から37分頃まで約8分、二重の虹がかかりました。二重の虹を見るのが初めてで夢中でシャッターを切り、
後で写真をよく見ると内側の虹と外側の虹の配色が逆になっていることに気付きました。撮影時に公開していればと悔やまれます。
国際線旅客ターミナル完成時にはサイクリングの途中で国際線ターミナルを見学したり、空港周を巡り、飛行機の写真を撮っています。
|
| 野川流域・深大寺・井の頭公園(自転車:110分)
二子多摩川から野川の沿って遊歩道を上流に進むと春は桜・菜の花が咲き乱れ、小川では鯉の産卵・野鳥・子供たちの水遊び等をを見ることができます。
深大寺周辺は、お寺を中心に蕎麦屋が点在し、四季を通じて桜の花・花菖蒲・水蓮・紅葉等の自然を満喫することができます。
|
| 池上本門寺(徒歩:40分又は自転車:15分)
本門寺を中心に種々のお寺や関連施設が点在しており四季を通して様々な行事が行われています。
2009年頃から撮ってきた写真を紹介しています。
|
| 二十一世紀の桜(徒歩:20分又は自転車:7分)
ガス橋から多摩川の右岸を上流に向かって約400m土手下にあった桜並木約40本を護岸工事に伴い土手上に移植し、
新たに約80本を追加して、2列に並んだ桜並木となり、2005年3月に「二十一世紀桜之碑」建立されました。
又その上流、東京高校正面玄関まで500mは従来の土手下の桜並木(約100本)が続き、毎年3月半ばから4月の初めにかけて、
桜と花大根の花が満開となり花見の名所です。2009年からの写真を時系列に並べています。
|
| 大田区立池上梅園(徒歩:45分又は自転車:17分)
丘陵斜面等を利用した閑静な庭園で370本の梅の木があり、初春には紅白の花が咲き乱れます。
また、800株のツツジ・樹木や茶室等の施設が点在し、四季を通じて風景を楽しむことができます。
| | |