「みちくさ」スライドショー

55ヶ所の四季の風景をスライドショーに纏めました。

変更履歴(直近)

実行欄の「⇒」釦をクリックするとスライドショーが実行されます。
追加・変更日
追加・変更内容
実行
2023年11月6日 田園調布南公園8月1日・大田図書館・下丸子公園8月4日・六郷用水(西嶺町)8月6日
下丸子公園8月8日・多摩川線・下丸子公園8月17日・大田図書館8月20日
下丸子公園8月23日・多摩川線8月26日
六郷用水(西嶺町)・北嶺町児童公園・久が原二丁目児童公園8月31日
GO
2023年8月14日 下丸子公園7月1日・多摩川線・六郷用水(西嶺町)7月2日・多摩川線・下丸子公園7月3日
六郷用水(西嶺町)7月4日・下丸子公園7月5日〜7日・六郷用水(西嶺町)・下丸子公園7月9日
下丸子公園7月11日〜19日・大田図書館・六郷用水(西嶺町)7月20日・下丸子公園7月22日
久が原久根児童公園7月23日・下丸子公園7月30日
GO
2023年8月4日 下丸子公園6月1日・六郷用水(西嶺町)・下丸子公園6月3日・八重ドクダミ6月4日
下丸子公園6月5日〜7日・大田図書館・下丸子公園6月8日・六郷用水(西嶺町)6月9日
大田図書館・六郷用水(西嶺町)・下丸子公園6月10日・下丸子公園6月13日
大田図書館・田園調布南公園6月14日・多摩川線・下丸子公園6月15日
下丸子公園6月16日・大田図書館・六郷用水(西嶺町)・下丸子公園6月18日
六郷用水(西嶺町)6月19日・下丸子公園6月20日・六郷用水(西嶺町)6月21日
矢口せせらぎ公園・多摩川線6月22日・下丸子公園6月25日
下丸子公園・久が原二丁目児童公園・下丸子公園6月26日・六郷用水(西嶺町)6月28日
下丸子公園6月29日
GO
2023年6月17日 多摩川線・下丸子公園5月1日〜3日・下丸子公園5月5日〜9日・多摩川線・下丸子公園5月10日
下丸子公園5月12日・あけぼの児童公園・女塚緑地5月13日・下丸子公園5月16日〜18日
多摩川線・下丸子公園5月19日・下丸子公園5月20日・大田図書館・下丸子公園5月21日
多摩川線・大田図書館・六郷用水(西嶺町)・下丸子公園5月22日・鵜の木松山公園5月23日
下丸子公園5月24日・六郷用水(西嶺町)・下丸子公園5月25日
下丸子公園・あけぼの児童公園5月26日・矢口せせらぎ公園5月27日
大田図書館5月28日・下丸子公園・鵜の木松山公園・矢口せせらぎ公園5月29日
下丸子公園・鵜の木松山公園・矢口せせらぎ公園5月30日・大田図書館・下丸子公園5月31日
GO

最終更新日 2023年11月06日 ホームページ

【スライドショー一覧】

「項」の数字をクリックすると説明文にリンクします。
「撮影場所」をクリックするとスライドショーを実行します。
撮影場所
枚数
状態
最終撮影日
撮影場所
枚数
状態
最終撮影日
1
池上梅園
71
2017/02/24
2
二十一世紀の桜
186
2017/04/14
3
本門寺
146
2017/12/05
4
野川・深代寺・井の頭
79
2017/05/07
5
羽田空港
32
2014/11/03
6
六郷用水の草花
183
2017/11/20
7
東高根森林公園
120
2017/05/11
8
洗足池
31
2017/12/03
9
科学博物館付属自然教育園
94
2017/12/03
10
林試の森公園
37
2017/05/07
11
駒沢公園
51
2017/05/07
12
新宿御苑
8
2014/05/01
13
代々木公園・明治神宮
52
2016/12/07
14
三ツ池公園
66
 
2017/04/12
15
多摩川
141
2017/12/07
16
総持寺
18
 
2016/10/27
17
増上寺
17
2013/05/04
18
有栖川宮記念公園
42
2016/12/05
19
宝来公園
23
2017/12/02
20
西嶺高砂公園
65
2017/11/20
21
西郷山公園
9
2014/02/26
22
山王草堂・尾崎記念館
60
2017/12/02
23
松濤園
28
2014/09/10
24
多摩川台公園
82
2017/12/02
25
次大夫堀公園・民族園
108
2017/10/26
26
馬事公苑
31
2013/05/03
27
皇居
58
2017/01/02
28
多摩川浅間神社
43
2017/02/16
29
光明寺
24
2016/08/14
30
東光院
14
2017/05/08
31
観蔵院
35
2017/06/03
32
新田神社
20
2017/05/22
33
安方神社
6
2016/09/01
34
増明院
20
2017/06/07
35
多摩川線沿線の草花
82
2017/10/09
36
大森ふるさとの浜辺公園
7
2013/07/01
37
川崎大師
37
2016/10/12
38
菊花展(本門寺・川崎大師)
39
2016/11/06
39
目黒不動尊
27
2017/05/08
40
密蔵院
27
 
2017/04/03
41
松陰神社
14
 
2017/04/07
42
豪徳寺
45
 
2017/04/07
43
千鳥いこい公園
25
2017/07/25
44
理境院
32
2017/01/14
45
中道院
13
2017/01/28
46
善養密寺
21
2017/11/05
47
田園調布八幡神社
12
2017/11/05
48
下丸子公園
166
2017/11/19
49
九品仏
39
2017/12/02
50
目黒川
26
 
2017/04/06
51
呑川
35
2017/04/07
52
岡本公園民家園
13
2017/10/26
53
萩中公園
5
2017/04/07
54
田園調布せせらぎ公園
18
2017/06/10
55
鵜の木松山公園
44
2017/12/02
56
六所神社
55
2017/08/08
57
田園調布南公園
17
2017/07/02
58
貴船神社
12
2018/01/18

【撮影場所の説明】 「写真」をクリックするとスライドショーを実行します。

ホームページ
撮 影 場 所
解     説

貴船神社

貴船神社(自転車:36分)  

 貴船神社は水神である高?神(たかおかみのかみ)を祀り、御鎮座の年代は明らかではないが、社伝等から推察すると平安時代 より千年に及ぶ歴史を有すると思われる。
貴船神社は古代の祈雨八十五座の一座とされるなど、古くから祈雨の神として信仰された。水の神様として、全国の料理・調理業や 水を取扱う商売の人々から信仰を集めている。当地はかつて海苔の産地として知られ漁業も盛んだった大森の地と密接な関わりを持ち、 総鎮守として崇敬を集めていた。

田園調布南公園

田園調布南公園(徒歩:5分又は自転車:2分)

 田園調布南公園は比較的広い公園で、ブランコ、滑り台、鉄棒、砂場等の他、住宅地の公園にはあまりないスチールワイヤーに滑車付き ロープがかけた遊具が有り地域の子ども達からは「ターザン公園」として親しまれています。また公園内には欅、スモモ、梅、紫陽花等の 植物も多くあり、季節を通して楽しめる公園です。

六所神社

六所神社(徒歩:18分又は自転車:7分)

 六所神社は大田区下丸子にある神社で、文暦元年(1234)に、荏原左衛門義宗が多摩川の下流に六柱の神(大己貴命、伊邪那岐命、 素盞嗚命、大宮比売命、瓊々杵命、布留大神)を祀ったのが始まりと伝えられている。江戸期には下丸子村の鎮守となっていました。 太平洋戦争終戦まで村社に列格していました。また境内には稲荷神社、旭稲荷神社、すっとび稲荷神社、三峰神社、北野神社が 祀らております。8月第一日曜日の例際には神楽殿では神楽が舞われ、町内を神輿が回ります。

鵜の木松山公園

鵜の木松山公園(徒歩:5分
 鵜の木松山公園は東急多摩川線の鵜の木駅から北東に230m:徒歩3分の所にあり、河原坂を上った高台の公園には、 クロマツがはえており木々の間からは鵜の木の街並み・神奈川・武蔵小杉の高層ビル群が良く見える。 天気の良い日には富士山を見ることが出来ます。また、この地区は。6世紀末から8世紀前半にかけて作られた横穴墓が数多く発見され、 その1つが発掘時そのままの形で保存展示されている。横穴墓の中はライトで照らされていて良く見ることが出来る。 又、横穴墓入り口には説明パネルもあって詳しく解説されている

田園調布せせらぎ公園

田園調布せせらぎ公園(徒歩:21分、自転車:9分)
 田園調布せせらぎ公園は、昭和50年頃までは多摩川園としてミニ動物園と遊園地があった跡地で、現在は田園調布せせらぎ公園と なっております。園内には大きな木々の間に流れる数mの滝や、大きな湧水池が2か所あり、様々な水生生物が生息しています。 春にはサクラ、ヤエザクラ、など楽しめ、秋にはイロハモミジの紅葉を楽しみながら、森林浴をすることができます。 また3か所の多目的広場は大勢の子供や大人で毎日のように賑わっています。

萩中公園

萩中公園(自転車:53分)
 萩中公園は、信号機のあるコース内で自転車の練習ができる児童交通公園と、蒸気機関車や都電、トラック、ボートなどが置かれたガラクタ公園、 中央にはジャンボすべり台、またサクラ、ウメ、ケヤキなどの多くの木が植えられた築山広場等が有り、 児童や小さな子供連れに人気の公園です。 周囲には、運動施設として、萩中公園プール、萩中公園少年野球場及び野球場(有料)があり、萩中公園プールは屋内プールがあり、 年間を通じて利用可能です。萩中公園に隣接して、子どもからお年寄りまで多くの方に利用されている集会施設(萩中集会所)があります。 児童交通公園の遊具の貸出時間は、午前9時から午後4時までです。ガラクタ公園の利用時間は、午前9時から午後5時までです。

岡本公園民家園

岡本公園民家園(自転車:41分)
 岡本公園・民家園は、旧長崎家の主屋と土蔵、椀木門を復元し、江戸後期の典型的な農家の家屋を再現しており、 世田谷区の有形文化財第1号に指定されています。 昭和63年11月に開園した次大夫堀公園民家園同様、「生きている古民家」をテーマに、囲炉裏には毎日火が焚かれ、 家の中や軒下には民具が置かれています。 主屋内にも自由に入ることができ、民具などに触れることもできます。また、農村に伝わる行事等も行っており、 昔ながらの生活や風習を体験することができます。

呑川

呑川
 呑川は都世田谷区桜新町(東急田園都市線桜新町駅付近)を水源とし、国道246号(玉川通り)までは暗渠化されております。 国道246号(玉川通り)から、駒沢通りの間は開渠となり、親水公園として整備され、循環水が流され、両岸は桜並木が続いています。 また駒沢通りから再び暗渠化され呑川緑道として桜並木(一部駐輪場)があり、東急大井町線まで続き、 再び開渠となり、大田区石川町、雪ヶ谷、久が原、池上、蒲田(JR蒲田駅、東京工科大学、日本工学院専門学校、 京急本線京急蒲田駅付近)を流れ、北糀谷で直線化した新呑川となり、羽田空港との間の海老取川に注ぎます。 また、北糀谷からの旧呑川は旧呑川緑地として桜並木のある公園が海老取川まで続いています。

目黒川

目黒川(自転車:39分)
 目黒川は、世田谷区三宿の東仲橋付近で北沢川と烏山川が合流して目黒川となり南東へ流れ、天王洲アイル駅付近で東京湾に注ぎます。 北沢川と烏山川の合流点から国道246号の大橋までの約600mの区間は暗渠化され、それと併せて地表部分には人工のせせらぎを 抱いた緑道が整備されており、カルガモや鯉、ザリガニなど様々な生物が棲息しています。大橋より下流は開渠となっており、 川岸には桜の木が植えられ、花の咲く頃には多くの花見客で賑わいます。

九品仏

九品仏(自転車:24分)
 浄真寺は浄土宗の寺で、山号を「九品山」と言い、世田谷区奥沢七丁目にあります。もとは世田谷吉良氏系の奥沢城でしたが。 小田原征伐後同城は廃城となり、寛文5年(1675年)に当地の名主七左衛門が寺地として貰い受け、延宝6年(1678年)、 珂碩(かせき)が同地に浄真寺を開山しました。広い境内の本堂の対面には3つの阿弥陀堂があり、 それぞれに3体合計9体の阿弥陀如来像が安置されています。この9体はそれぞれ、上品上生、上品中生、上品下生、中品上生、 中品中生、中品下生、下品上生、下品中生、下品下生と言い、浄土教における極楽往生の9つの階層を表しており、 これらをあわせて九品と言います。この九品の仏から、浄真寺は通称「九品仏」と呼ばれています。

下丸子公園

下丸子公園(徒歩:18分。自転車:6分)
 下丸子公園は、旧三菱重工の跡地に造られた公園で、多摩川の旧跡「矢口の渡し」の昭和20年代を景観として再現されました。 緑濃い植込みと広場そしてテニスコートなどで構成されています。丘(築山)には四阿(あずまや)が建ち、 このかたわらからの流れが斜面を下り池に注ぎこんでいます。石造りの池の岸辺には、木組みの渡し場が造られ小さな舟が浮かんでいます。 これが「矢口の渡し」です。(流れの運転期間は5月〜10月です) 右手の子供広場は「わんぱくトリデ」と呼ばれるコンビネーション遊具や大きな砂場を主体とした子供の遊び場として人気があります。 約2500uの自由広場やテニスコート場、フェンスに囲まれたスペースに、 フットサルコートとバスケットボールのハーフコートがあり、各世代間に渡っての利用できます。

田園調布八幡神社

田園調布八幡神社(自転車:15分)
 田園調布八幡神社の創建年代は不詳、鎌倉時代の建長年間(1249-1256)ともいわれます。この時代、鎌倉幕府は執権の北条氏が実権を握り、 国内基盤固めを行っていました。各地で武士達や村人達も幕府に忠誠を尽くす意味もあり、 源氏の氏神を祀る八幡信仰が盛んで多くの八幡神社が建てられました。当時、この村の西側現在の雙葉学園南側の盆地は篭谷戸(ろうやと) と呼ばれる入江で、多摩川の水が滔々と打ち寄せる自然の良港であり、物資を積んだ舟が盛んに出入りしていた。 また、この村の高台部分には東より西へ貫いて鎌倉街道が通り、篭谷戸の港に接続していました。 港を中心としてこの一体には多くの鎌倉武士が駐屯し、鎌倉海道の要衝の地となっていた。 そして、この八幡神社の地は港の入口に突き出した台地で舟の出入りを監視できる重要な場所であった。 鎌倉武士はその重要な場所に祠を建て、八幡神社を勧請した。以来、この八幡神社の地は聖地となり、人々に崇められてきた。

善養密寺

善養密寺(自転車:23分)
 善養寺(ぜんようじ)は、影光山仏性院大毘廬遮那殿善養密寺といい、京都市東山区の智積院の末寺です。 深沢村(現在の深沢地区の一部)から江戸時代初め、慶安年間(1648-1651年)に移転しました。 丸子川にかかる赤い橋(大日橋)を渡って石段を上ると、一対の海駝(かいだ:架空の神獣で火除けの神) の坐像が出迎える。海駝は世界でも5つしかない珍しいものです。本堂は奈良の唐招提寺金堂を模したもので、 鴟尾一対が載った瓦葺き寄棟造りの屋根が特徴です。本堂前のカヤの大木(善養寺のカヤ)は樹齢700年とも 800年とも言われ1964年に東京都の天然記念物に指定されています。 このカヤには豪族の娘が助けた沢蟹親子の恩返し伝説があり、そばには沢蟹や蛙、河童の石像、 その他にも境内にはガネーシャ神、石羊、布袋像などが有り、本堂内には、 本尊の大日如来坐像の他秘仏の不動明王立像と制多迦童子、矜羯羅童子などが祀られています。 平成10年(1998年)に善養寺中興400年記念として梵鐘と梵鐘堂が完成しました。

中道院

中道院(徒歩:40分又は自転車:15分)
 日蓮宗寺院の中道院は、日蓮聖人の滅後、直弟子日頂聖人が開いた庵室を起源とする。もとは本門寺の南の谷の先にあり, いつの時代にか当地に移された。池上本門寺10世、中道院日陽聖人がここに隠棲した ので中道院とよばれるようになる。 池上本門寺25世、日聖人の庵室(場所は不明)の不二庵が日聖人没後の宝暦4年(1754)中道院と合併。 かつては、日聖人の法脈に連なる池上本門寺貫主の退隠後の庵 室であり、現在はその位牌所となっている。

理境院

理境院(徒歩:40分又は自転車:15分)
 日蓮宗寺院の理境院は、妙祐山と号し、元享元年(1321)池上本門寺3世日輪聖人の住坊として創建され、 久成院と称します。延宝元年(1673)に檀越長澤氏の母理境院妙性日貞尼の寄進の法功をたたえ理境院と改称したといわれ。 大坊本行寺、照栄院と共に池上三院家の一つです。
慶応3年(1867)官軍参謀西郷隆盛は当院を宿舎をあてたと伝えられる。 明治11年(1878)堂宇を小学校校舎に使用、池上小学校の前身となりました。
東急池上線池上駅から徒歩10分、本門寺の総門を入った。左手に赤門を有した静かな庵です。

千鳥いこい公園

千鳥いこい公園(自転車:10分)
 千鳥いこい公園は池上線の千鳥町駅から東方向に歩いて250mの所にある公園で、丘陵を利用し高低差があり、 樹木も多くとても変化に富んだ公園で、ウメ(2月〜3月)、サクラ(3月〜4月初)、アジサイ(6月)、 アカメガシワ、ヒノキ、スダジイ、マテバシイ、エノキ、エゴノキ、モミジ(12月)があり、季節毎に花や紅葉の綺麗な公園です。 公園の下には、旧六郷用水の上に蓋をして出来た遊歩道あり、六郷用水跡散策の途中で立ち寄れます。

豪徳寺

豪徳寺(自転車:54分)
 曹洞宗大谿山豪徳寺は、世田谷城主吉良政忠が、文明12年(1480)に亡くなった伯母の菩提のために 臨済宗弘徳院として創建したと伝えられます。 高輪泉岳寺初世の門奄宗関が中興開山、寛永10年(1633)世田谷領が彦根藩領となり、 当寺が井伊家の江戸における菩提寺となったことから、寺号を藩主井伊直孝の法号昌院殿豪徳天英大居士より豪徳寺と改号しました。 井伊家墓所は国指定史跡となっている他、梵鐘・仏殿・仏像など数多くの文化財を所蔵しています。 井伊直孝は飼い猫によって当寺へ招き入れたという招き猫の伝説があり、この飼い猫は松福庵(招福庵)に祀られ、 数多くの参詣者があります。東京三十三観音霊場11番札所です。

松陰神社

松陰神社(自転車:50分)
 吉田松陰が安政の大獄で刑死した4年後の1863年(文久3年)、高杉晋作など松陰の門人によって小塚原の向院にあった松陰の墓が当地に 改葬された。1882年(明治15年)11月21日、門下の人々によって墓の側に松陰を祀る神社が創建され、 現在の社殿は1927年〜1928年にかけて造営されたものである。松陰の50年祭に際して寄進された26基の燈籠には伊藤博文、 木戸孝正、山縣有朋、桂太郎、乃木希典、井上馨、青木周蔵等の名前が刻まれている。 松下村塾を模造した建物、頼三樹三郎、広沢真臣らの墓もある。松陰らが眠る墓域は幕末時代、徳川勢により一度破壊されたが明治元年、 木戸孝允がこれを修復整備した。墓域には現在も、木戸が寄進した鳥居が残っている。また敷地に隣接して桂太郎の墓もある。 谷を挟んで、安政の大獄を起こし吉田を刑死させた井伊直弼の菩提寺である豪徳寺がある。

密蔵院

密蔵院(徒歩:10分、自転車:4分)
 真言宗智山派寺院の密蔵院は、明楽山と号します。創建年代は不詳ですが、慶長年間に火災で類焼、檀徒森庄兵衛(2代元和5年5月4日没) が本堂を再建したことから森立寺と改称したといいます。古くから多くの庚申塔があり、沼部の庚申として著名だったほか、 新田義興が謀殺された時、義興の怨念が雷火となって江戸氏方の将兵が逃げ込んで難を避けたという雷よけ観音があります。 また、玉川八十八ヶ所霊場56番です。 明治期に入り25世定欣は寺院内外の整備を行ったが、26世定吽も本堂改築の念を起し、昭和16年着工し、昭和18年現本堂を完成させた。 昭和20年戦火を受けて書院、庫裡を焼失し、寺宝や古文書の大部分を失った現在の庫裡や庚申堂の新築は現住が昭和34年以降に行ったものです。

目黒不動尊

目黒不動尊(自転車:45分)
 目黒不動尊は天台宗泰叡山瀧泉寺と言い、開基は平安時代(808年)にさかのぼります。 15歳の慈覚大師・円仁(後の天台座主第三祖)が、師の広智阿闍梨に伴われて、故郷の下野国(今の栃木県)から比叡山の伝教大師・ 最澄のもとへ向かう途中、目黒の地に立ち寄りました。その夜の夢中、面色青黒く、右手に降魔の剣を提げ、 左手に縛の縄を持ち、とても恐ろしい形相をした神人が枕の上に立ち現れて『我、この地に迹を垂れ、魔を伏し国を鎮めんと思うなり。 来って我を渇仰せん者には、諸々の願ひを成就させん』と告げ、夢覚めた後その尊容を黙想し自ら、像を彫刻して安置したのに創まります。 江戸時代には五眼不動といわれ、五方角(東・西・南・北・中央)を色で示すものです。その由来については諸説ありますが、 各位置は江戸城(青)を中心として、それぞれ水戸街道(黄・最勝寺)、日光街道(黄・永久寺)、中山道(赤)、甲州街道(白) 東海道(黒)といった江戸府内を中心とした五街道沿い(又は近く)にあることから、徳川の時代に江戸城を守るために置かれたといわれています。

菊花展(本門寺・川崎大師)

菊花展(本門寺・川崎大師)
 毎年この時期になるとあちこちの神社仏閣等で菊花展が開催されています。
近くでは本門寺や川崎大師の展示を毎年見学しています。
大輪・盆栽・懸崖など丹精を込めて育てられた花々はとても綺麗でした。

川崎大師

川崎大師(自転車:50分)
 川崎大師は金剛山平間寺と言い、約880年前、崇徳天皇の御代、平間兼乗という武士が、無実の罪により生国尾張を追われ、 諸国を流浪した後、この川崎の地に住みつき、漁猟をなりわいとして貧しい暮らしをしていました。 兼乗は深く仏法に帰依し、とくに弘法大師を崇信していましたが、わが身の不運な回り合せをかえりみ、 当時42歳の厄年に当たり、日夜厄除けの祈願を続けていました。 ある夜、ひとりの高僧が、兼乗の夢まくらに立ち、「我むかし唐に在りしころ、わが像を刻み、海上に放ちしことあり。 以来未だ有縁の人を得ず。いま汝速か出て、光り輝いている所に網を投じ、一躰の木像が引き揚げられました。 それは、大師の尊いお像でした。兼乗は随喜してこのお像を浄め、細やかな草庵をむすんで、朝夕香花を捧げ、 供養を怠りませんでした。その頃、高野山の尊賢上人が諸国遊化の途上たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、尊いお像と、 これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、兼乗と力をあわせ、ここに、大治3年(1128)一寺を建立しました。 そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺と号し、御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。

大森ふるさとの浜辺公園

大森ふるさとの浜辺公園(自転車:32分)
 ふるさとの浜辺公園は大田区立の海浜公園で、東京都内で初の区立の海浜公園です。 大田区内を流れている内川の河口部分を埋め立てて作られた公園で、人工海浜や人工干潟などが備えられ、 磯遊びや水遊びができるスポットです。また隣接して平和の森公園があるほか、付近には都堀公園、 平和島公園などもあり、当公園付近は大田区内でも身近に自然に触れられる数少ないエリアです。

多摩川線沿線の草花

多摩川線沿線の草花
 多摩川線沿線の線路脇に咲き乱れる草花のスナップ写真です。四季様々な草花が咲いています。 季節が変わるごと追加していきたいと思っています。

増明院

増明院(徒歩:12分、自転車:分)
 増明院は、真言宗智山派寺院で、青林山金剛寺と号します。本尊は大日如来座像で、高野山より下向した長誉阿闍梨 (元禄年間1688-1703没)が開山、青山因幡守(延宝7年1679年没)が開基となり創建したと伝えられます。 また、玉川八十八ヶ所霊場58番で、境内には備前池田家の表門であったと伝えられる武家屋敷門が山門として使用されています。 「新編武蔵風土記」には開創以前に修験者が住んでいたことを記している。

安方神社

安方神社(自転車:15分)
 安方神社の御祭神は全国の「八幡さま」として信仰の厚い、第十五代応神天皇誉田別命であり現在も学問、 文化興隆の神様として崇められている。 「安方」の名が最初に「史料」に登場するのは江戸時代後期の文化年間(1804〜1818)に書かれた「新編武蔵国風土記」 の記述に依ると慶長十四年に安方村の検地が行なわれたとされている事からそれ以前にこの辺りは開墾されていたと推察される。 聚落社会があれば必ずその中心に共同祭祀の場たる神社を持つという当時の原則に従えば恐らく江戸時代中頃には 安方神社の前身は建立されていたと思う。 明治七年刊の「東京対誌料」に安方村の土地の広さ、戸数、人数、歳額等に並び「八幡神社、村ノ鎮守ナリ。」との記載が見られる。 昭和20年4月14日、米軍の大空襲により、町と共に焼かれました。 現在の社殿は戦後、昭和36年に落成しました。

新田神社

新田神社(自転車:11分)
 新田神社は、新田義興公の御霊を鎮めるために、村老等によって墳墓が築かれて社祠が建てられ、『新田大明神』 として広く崇め奉られました。 江戸時代に入ると、将軍徳川家の祖先がこの新田家であるということより、松平家から「新田大明神縁起絵巻物(都文化財)」 や「新田神君碑(大田区文化財)」の奉納などもあり、武運長久の守り神として、武家信仰の神社として栄えました。 その後、蘭学者である平賀源内が新田神社に参拝して、境内の不思議な篠竹で厄除開運・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作り、 広く御祭神の御神徳を仰がしめることを勧めました。 また、源内はこの新田神社の縁起をもとに浄瑠璃・歌舞伎「神霊矢口渡」を脚色し、江戸庶民の新田詣が始まりました。 現在でもこの「神霊矢口渡」の一部分が各地の歌舞伎場などで 上演されています。

観蔵院

観蔵院(徒歩:6分、自転車:2分)
 真言宗智山派寺院の観蔵院は、峯松山正善寺と号し、創建年代は不詳ですが、鵜の木光明寺が真言宗寺院であった頃、 その加行道場として創建したと伝えられ、鵜の木光明寺は寛喜年間(1321−1332)に浄土宗に改宗していることから、 1332年以前に創建したと考えられます。中興3世順宥が三河国鳳来寺より勧請した薬師如来が”峯の薬師” として江戸時代に崇敬を集めたといいます。明治時代に一旦廃寺となったものの、大正11年(1922)6月に檀徒の熱望により再興、 羽田の廃寺観蔵院の寺号をうけついで、観蔵院と称するようになりました。 また、玉川八十八ヶ所霊場57番、東海三十三観音霊場29番です。

東光院

東光院(徒歩:16分、自転車:6分)
 真言宗智山派寺院の有慶山東光院は、玉川八十八ヶ所霊場55番で、開創の年代は明らかではないが義賢和尚(文禄3年1594年寂) が創建したといわれ。鎌倉幕府初代将軍の源頼朝の妻の北条政子の守り本尊と伝えられる木造の聖観世音菩薩像が、 明治時代にそれまで保存されていた多摩川浅間神社から移され、安置されている。東急多摩川線沼部駅の北、徒歩2分。 山門を入ると正面に新橋色の本堂の屋根がひときわ美しく輝き、春には境内や表の通りの桜が美しい。

光明寺

光明寺(徒歩:16分、自転車:6分)
 浄土宗寺院の光明寺は、大金山宝幢院と号し、本尊は阿弥陀三尊で、天平年間(729〜749)に行基が開創、のち弘仁年間(810〜824)に、 空海が再興して、関東高野山宝幢院と称したと伝えられる名刹です。 寛喜年間(1229〜1232)になって、浄土宗西山派の祖、善慧証空が再興して浄土宗にかわり、関東弘通念仏最初の道場となり、 大金山宝幢院光明寺と称するようになりました。
また、120基に及ぶ板碑(いたび)<板石状の卒塔婆>が出土しています。 板碑は誰でも造れるものでなかったらしく、地頭や豪族クラスにしか持つことが出来ないものでした。 このことからも光明寺が豪族クラスの菩提寺であったことが推察されます。

多摩川浅間神社

多摩川浅間神社(徒歩:22分、自転車:9分)
 多摩川浅間神社は、鎌倉時代の文治年間(1185年〜90年)に創建と伝えられています。右大将源頼朝は豊島郡滝野川松崎に出陣しました。 夫の身を案じた妻政子は、後を追ってここまで来ましたがわらじの傷が痛み出し、やむなく多摩川の川畔で傷の治療をすることになり、 逗留のつれずに亀甲山(かめのこやま)に登ってみると、富士山がじつに鮮やかに見えました。富士吉田には、 自分の守り本尊である「浅間神社」があり、政子はその浅間神社に手を合わせ、夫の武運長久を祈り、身につけていた「正観世音像」 をこの丘に建てました。村人たちはこの像を「富士浅間大菩薩」と呼び長く尊崇しました。 承応元年(1652年)5月浅間神社の表坂土どめ工事をしていた時、九合目辺りから唐銅製の正観世音の立像が発掘されました。 多摩川で泥を洗い落としてみると、片足がありません。そこで足を鋳造してお祀りし、6月1日に神事を行いました。 以来、ご祭礼は6月に行なわれております。

皇居

皇居(電車)
 毎年1月2日に皇居で行われている、新年一般参賀に参加せて頂き、天皇陛下の新年の御言葉を拝聴するのが私の新年の行事です。 新年一般参賀は皇居正門(二重橋)から参入し,宮殿東庭で天皇陛下のお言葉を拝聴し、坂下門、桔梗門又は乾門から退出することとなります。 また、皇居一般参観に応募し、皇居内の富士見櫓,宮殿の外観及び二重橋などを参観させて頂きました時のスナップ写真です。
春秋季皇居乾通り一般公開や秋季皇居乾通り一般公開にも参加させて頂きスナップ写真を公開したいと思っています。

馬事公苑

馬事公苑(自転車:54分)
 馬事公苑は、日本中央競馬会 (JRA) の騎手養成所が置かれており、1982年に競馬学校が開設されるまでは中央競馬の騎手の 養成が行われていました。 現在はJRA馬事公苑馬術大会のような統合的な競技会のほか東京馬術大会などの馬術競技、キャロット・ステークスなどの障害飛越馬術競技、 ホーストライアルなどの総合馬術競技、近代五種日本選手権大会馬術競技といった各種専門馬術競技会が定期的に開催されており、 関東における主要な馬術競技会場となっており、5月3日〜5日には、JRA馬事公苑馬術大会としての馬場、 障害飛越競技に加えて警視庁第三方面交通機動隊騎馬隊やアンダルシアン種馬演技の供覧といった馬事普及の活動を行っています。

次太夫堀公園

次太夫堀公園(自転車:55分)
 徳川家康の命により、慶長2年(1597年)より多摩川の両岸に開削された2つの用水のうち、多摩川郡和泉村(現狛江市)から、 六郷領(現大田区)至る六郷用水(総延長:23.2q)の別称で、開削者小泉次太夫(いずみじだゆう)の名をとり世田谷領では 次太夫堀と呼ばれている。
現在、当地では元の見当たらないが次太夫堀公園・民家園として江戸時代の民家や田園風景、生活用品が展示されており、 多摩川用水に関する資料等も多く保管・展示されていてとても興味深い施設です。

多摩川台公園

多摩川台公園(徒歩:22分、自転車:9分)
  多摩川台公園のある台地は武蔵野台地の南端部にあたり、冬期には晴れていれば正面に富士山がよく見え、その手前に左は大山から塔ノ岳、 蛭ヶ岳へとのびる丹沢山地が右の山裾まで見渡せます。その右には一度落ちた稜線の先に再び滝子山が立ち上がり、 稜線が大菩薩連嶺に連なり、条件の良いときは大山の左に箱根の山々が遠く見えさらに条件が絶好のときは滝子山のすぐ左に 南アルプスの間ノ岳から農鳥岳にわたる白い稜線を見ることが出来ます。桜の木も多く、春には桜の名所として知られてます。 1953年に東京都立多摩川台公園として整備され、1975年に区に移管されて大田区立多摩川台公園となって古墳の2つの大型前現在に至ってます。 園内には水生植物園・展望広場・運動広場・古墳展示室・自由広場・山野草のみちや亀甲山古墳と宝莱山方後円墳と8基の円墳からなる 多摩川台古墳群が並んでいて公園を散策すことが出来ます。

松濤園

松濤園(徒歩;51分、自転車:16分+徒歩:8分)
 池上本門寺の北側に位置する松濤園は、本門寺旧本坊の奥庭として、桂離宮の建築と造園で名高い小掘遠州によって造園されたと伝えられています。 作庭に当たり、湧き水が出る池を中心に、遠州茶道の極意を具現化するために4千坪の敷地の各所に茶室を配し、 来賓者が回遊する屈指の名園と成りました。池の周囲には洲浜・織部井戸・船付場・鶴島・亀島・魚見岩・太鼓橋などを設え、 滝口方面に渓流と渓谷・沢渡り・滝見橋・松濤の滝などが造られています。 また、園内で西郷隆盛と勝海舟との江戸城無血開城の会見が行われ隆盛の弟西郷従道が揮毫した両雄会見碑や、 橋本雅邦先生筆塚などがあり、東京都史跡指定を受けています。

山王草堂・尾崎記念館

山王草堂・尾崎記念館(自転車:35分)
 徳富蘇峰は日本最初の総合雑誌「国民之友」を発行、続いて「国民新聞」を創刊した人物です。 蘇峰の代表作である『近世日本国民史』は、1918年56歳のときに着手され、1952年に完結しました。 全100巻のうち半分以上が大森山王時代に書かれたものです。 蘇峰は1924年この地に移り住み、1943年熱海伊豆山に移るまでの間、山王草堂と称して暮らしました。邸内には、 蘇峰の収集した和漢書10万冊におよぶ成簣堂文庫(せいきどうぶんこ)が設けられていました。 山王草堂記念館は、1986年に静岡新聞社から大田区が蘇峰の旧居を譲りうけ、1988年4月に開館しました。 園内にあるカタルパの木は、和名をアメリカキササゲといい 蘇峰の生涯の師であり、同志社大学の創立者である新島襄ゆかりの木です。 毎年5、6月には香りの良いベル形の白い花をつけます。

西郷山公園

西郷山公園(自転車:57分)
 西郷山公園一帯は江戸時代は豊後竹田城主・中川氏の抱え屋敷であったところで、 特に当家の回遊式庭園は名所として当時の地誌にも載っていました。 明治時代になって西郷隆盛の実弟・西郷従道が兄隆盛の再起を願って当地付近を購入したが、 西南戦争により隆盛が他界したためそれが実現されず、従道自身の別邸として利用されることになった。 その後西郷家は1941年に渋谷に移転した為、当時の鉄道省の手に渡った。 また第二次世界大戦の空襲により和館が焼失するなど次第に西郷邸があったころの面影は薄くなっていった。 なお残された洋館は1963年に愛知県犬山市にある明治村に移築され、現在は国の重要文化財にる。 指定されてい邸宅跡地の一部分が公園として整備され、付近の通称であった「西郷山」の名を付した公園として1981年5月28日に開園しました。

西嶺高砂公園

西嶺高砂公園(徒歩:5分)
 高砂公園は「嶺村の高砂」と呼ばれていたことが命名の由来です。閑静な住宅街にあって、丘陵を利用した高低差のある公園で、 北側は武蔵野の雑木林をそのまま残し、周りは石垣できれいに整備されており、その合間にシダやツワブキを植えてあり 10月の終わりから11月の初めにかけて可憐な花が見られます。 上部は小高い丘となり、見晴らしが良く。南側の上部は梅園になっている。公園入口にはねむの木があり6月には花が咲きます。 武蔵野の雑木林そのままになっており、夏は蝉取りもできます。

宝来公園

宝来公園(自転車:12分)
 宝来公園は、多摩川の沿岸旧荏原郡下沼部付近の丘陵に位置し、付近には亀甲山古墳をはじめとする多くの遺跡に富んでます。 園内には約70種1500本の樹木が繁り、四季折々の自然の美しさは、今も、武蔵野の面影を残しています。大正14年、 田園都市の開発に際し、武蔵野の自然を保存し、永く後世に残すために、田園調布鰍ヘ、街の一画(汐見台)を公園用の広場として残しました。 その後、田園調布会に贈られ、昭和9年10月東京市に寄附されました。 東京市はさらに整備し、昭和11年に「宝来公園」として開園しました。その後、大田区に移管されて現在に至っています。

有栖川宮記念公園

有栖川宮記念公園(自転車:56分)
 この地は、江戸時代、盛岡南部藩の下屋敷として使われていました。1896年有栖川宮威仁(ありすがわのみやたけひと) 親王の新邸造成の御用地となり。有栖川宮が廃絶して後は、大正天皇は第三皇子光宮宣仁(てるのみやのぶひと)親王に、 有栖川宮の旧称高松宮の称号を賜り、その御祭祀をお継ぎになります。 その後、児童福祉を目的とする遊び場に深い関心を寄せられていた高松宮殿下は、故有栖川宮威仁親王の20年のご命日にあたる 1934年に東京市に賜与され、記念公園として一般開放されました。 北東部を編入し、1975年には港区に移管されて、区立公園となり多くの人に親しまれています。管理事務所近くには、 この公園とも縁の深い、有栖川宮熾仁(たるひと)親王の銅像が建っています。
 

増上寺

増上寺(自転車:52分)
 空海の弟子・宗叡が武蔵国貝塚(千代田区麹町・紀尾井町あたり)に建立した光明寺が増上寺の前身という。 その後室町時代の1393年、酉誉聖聡(ゆうよしょうそう)の時、真言宗から浄土宗に改宗した。この聖聡が、実質上の開基といえる。 中世以降、徳川家の菩提寺となるまでの歴史は必ずしも明らかでないが、通説では1590年徳川家康が江戸入府の折、 たまたま増上寺の前を通りかかり、源誉存応上人と対面したのが菩提寺となるきっかけという。 貝塚から、一時日比谷へ移った増上寺は、江戸城の拡張に伴い、1598年家康によって現在地の芝へ移され、徳川家の菩提寺なり、 檀林(学問所及び養成所)がおかれ、関東十八檀林の筆頭となった。明治時代には大教院神殿が置かれた。 1874年1月1日排仏主義者により放火される。徳川幕府の崩壊、明治維新後の神仏分離の影響により規模は縮小され、 境内の広範囲が芝公園となる。太平洋戦争中の空襲によって徳川家霊廟、五重塔をはじめとした遺構を失う大きな被害を受けた。 東京タワーの建設時、増上寺は墓地の一部を提供している。

総持寺

総持寺(自転車:52分)
 総持寺は、能登国櫛比庄(現在の石川県輪島市)の真言律宗の教院「諸嶽観音堂」が、前身で、1321年(元亨元年)曹洞宗4世の瑩山紹瑾は、 「諸嶽観音堂」への入院を住職の定賢から請われる。また同年に定賢より「諸嶽観音堂」を寄進され、寺号を「總持寺」、 山号は「諸嶽山」と改名し禅院となる。1322年(元亨2年)後醍醐天皇より「曹洞賜紫出世第一の道場」の綸旨を受けて官寺、 大本山となり、曹洞宗を公称する。1615年(元和元年)徳川幕府より法度が出され、永平寺と並んで大本山となる。 1898年(明治31年)火災で焼失する。1911年(明治44年)に現在の地に移転しました。敷地面積は約50万uあり、境内には仏殿、 大祖堂をはじめ多くの堂宇があり、鶴見大学などの学校施設もある。 本尊釈迦如来像を安置する仏殿よりも、道元、瑩山紹瑾など歴代の祖師を祀る大祖堂の方が規模が大きいのが特色である。
 

多摩川

多摩川(近点徒歩:4分、 自転車:分)
 山梨県・東京都・神奈川県を流れる多摩川水系の本流で、流域面積1,240kuの一級河川で、下流域は東京都と神奈川県の県境となっており、 川辺は野草や野鳥が数多く見られる自然豊かな第一級河川です。また川岸にはサイクリングロードがあり、種々の場所から富士山を眺めることができますが。 数年前に武蔵小杉の高層マンションが増築されて、高層マンションの間に見える夕闇の富士山の姿が見えなくなったのは残念です。

三ツ池公園

三ツ池公園(自転車:63分)
 春の県立三ツ池公園は公園全体が桜色に染まります。78品種、およそ1600本の桜が楽しめることから「さくら名所100選」 にも選ばれるほどで、早咲きから遅咲きまでさまざまな桜を長く楽しむ事ができます。
公園の名前の由来ともなった三つの池は、江戸時代に灌漑用水池として利用されていました。 自然の起伏を活かした豊かな樹林や四季折々の花とともに、都会の中でありながら、ひと時の安らぎを与えてくれます。

代々木公園・明治神宮

代々木公園・明治神宮(自転車:74分)
 代々木公園は、大日本帝国陸軍の代々木練兵場を第二次世界大戦敗戦後、ワシントンハイツとなり、 昭和39年の東京オリンピックでは代々木選手村として使用された後に再整備され、1967年(昭和42年)に代々木公園として開園されました。 隣接する明治神宮は明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする神社で、面積約70万uの境内は全国青年団の勤労<奉仕により造苑整備されました、 現在の深い杜は全国からの献木が植樹されました。また、本殿を中心に厄除・七五三などを祈願を行う神楽殿、 宝物殿(明治時代の宮廷文化を偲ぶ御祭神ゆかりの御物を陳列する所)、 武道場至誠館(御祭神の大御心を通じて健全なる日本精神を育成する所)などがあります。

新宿御苑

新宿御苑(自転車:35分)
  江戸時代に信州高遠藩主内藤家の屋敷があったところに明治39年に皇室の庭園として新宿御苑が誕生しました。 その後(戦後)、国民公園として、多くの方々に親しまれてきました。
広さ58.3ha、周囲3.5kmの庭園は、「日本庭園」「イギリス風景式庭園」、「フランス式整形庭園」が有り、1万本を超える樹木、 特に65種・約1300本の桜は4月上旬には内閣総理大臣主催の「桜を見る会」が開催されるなど、花見の名所として観光客で賑わい 日本桜名所100選に選定されてます。また、11月上旬には環境大臣主催の「菊を観る会」が開催れる。

駒沢公園

駒沢公園(自転車:35分)
  東京ゴルフ倶楽部というゴルフコースを1953年にプロ野球東急(東映)フライヤーズの本拠地として、東京急行電鉄などが 建設した駒澤野球場として開設されたが、1964年の東京オリンピックの開催に伴いスポーツ公園として整備(サブ会場としてサッカー、 バレーボールなどを行う為)され、1964年に完成したスポーツ施設を備えた緑豊かな公園です。 2009年から毎年東京ラーメンショーの会場としても使用されています。
現在、2020年東京オリンピックに向けて、駒沢オリンピック公園総合運動場として、老朽化したスポーツ施設の改築中。

林試の森公園

林試の森公園(自転車:39分)
  林業試験場当時の樹木がそのまま残されており、ケヤキ、クスノキ、プラタナス、ポプラ、スズカケノキなどの巨木がある。 その他、カイノキ、トチュウ、シナユリノキ、チンタオトゲナシニセアカシア、ベニカエデ、ヒマラヤゴヨウ、 レバノンスギ等の外国産樹木やアベマキ、ハナガガシ、ニオイドロ、シマサルスベリ、ヨコグラノキ、ナナミノキ等の珍しい木があります。 木々には解説のプレートがつけられて判り易くなっております。

自然教育園

国立科学博物館 附属自然教育園(自転車:45分)
  自然教育園は港区白金台、目黒駅より徒歩9分という立地条件にありながら、自然の面影を残す数少ない森です。 元は400〜500年前の中世の豪族の館とされ、江戸時代には高松藩主松平頼重の下屋敷、明治時代には陸海軍の火薬庫、 大正時代には宮内庁の白金御料地となり、一般の人々が中に入ることができなかったために、豊かな自然が残されました。 1949年に全域が天然記念物および史跡に指定されると同時に、国立自然教育園として一般に公開されました。 1962年に国立科学博物館附属自然教育園となり、できる限り自然の本来の姿に近い状態で残そうという考え方で運営されています。

洗足池

洗足池(徒歩:45分又は自転車:17分)
  洗足池は北千束の清水窪湧水などを主な水源とした淡水池のある公園です。
古くは歌川広重の名所江戸百景『千束の池袈裟懸松』にも描かれた水辺の景観の面影を今も残しています。 春は桜、秋は紅葉、冬は渡り鳥が飛来するなど四季を通じて楽しむことができます。
また池の周囲には、池月橋、水生植物園、勝海舟夫妻の墓、西郷隆盛留魂碑、徳富蘇峰詩碑、名馬池月像などがあります。

東高根森林公園

東高根森林公園(自転車:53分)
  川崎市のほぼ中央部に位置し、多摩丘陵の美しい自然を今に伝える公園です。園内には湿生植物園、ユリ園、古代植物園やシラガシ林、 クヌギ・コナラ林等があり、新緑から紅葉まで四季折々の草花を楽しことが出来ます。 また、弥生時代から古墳時代の竪穴式住居跡もあり。これらの自然及び史跡を含め県の天然記念物に指定されています。

六郷用水の草花

六郷用水の草花(徒歩:5分〜自転車: 分)
 六郷用水は、徳川家康の命によりつくられ、狛江市の取水口から二子玉川・上野毛・野毛・玉堤・田園調布・田園調布本町・西嶺町・ 鵜の木・千鳥町・池上を通り六郷の田畑を潤す農業用灌漑用水路として開削されましたが、 近年の都市化に伴い一部は暗渠化されたり埋め戻されました。 そのあとに再現水路を造られたり、遊歩道が造られ市民のいこいの場となっております。

く羽田国際空港

羽田空港(弁天橋まで自転車:55分、国際線旅客ターミナル:65分)
 多摩川岸のサイクリングロードで約1時間。羽田空港が一望できる弁天橋たもに着きます。運動不足解消の為によく訪れます。 2013年10月2日16時29分から37分頃まで約8分、二重の虹がかかりました。二重の虹を見るのが初めてで夢中でシャッターを切り、 後で写真をよく見ると内側の虹と外側の虹の配色が逆になっていることに気付きました。撮影時に公開していればと悔やまれます。 国際線旅客ターミナル完成時にはサイクリングの途中で国際線ターミナルを見学したり、空港周を巡り、飛行機の写真を撮っています。

深大寺

野川流域・深大寺・井の頭公園(自転車:110分)
 二子多摩川から野川の沿って遊歩道を上流に進むと春は桜・菜の花が咲き乱れ、小川では鯉の産卵・野鳥・子供たちの水遊び等をを見ることができます。
深大寺周辺は、お寺を中心に蕎麦屋が点在し、四季を通じて桜の花・花菖蒲・水蓮・紅葉等の自然を満喫することができます。

本門寺

池上本門寺(徒歩:40分又は自転車:15分)
 本門寺を中心に種々のお寺や関連施設が点在しており四季を通して様々な行事が行われています。
2009年頃から撮ってきた写真を紹介しています。

二十一世紀の桜

二十一世紀の桜(徒歩:20分又は自転車:7分)
 ガス橋から多摩川の右岸を上流に向かって約400m土手下にあった桜並木約40本を護岸工事に伴い土手上に移植し、 新たに約80本を追加して、2列に並んだ桜並木となり、2005年3月に「二十一世紀桜之碑」建立されました。 又その上流、東京高校正面玄関まで500mは従来の土手下の桜並木(約100本)が続き、毎年3月半ばから4月の初めにかけて、 桜と花大根の花が満開となり花見の名所です。2009年からの写真を時系列に並べています。

池上梅園

大田区立池上梅園(徒歩:45分又は自転車:17分)
 丘陵斜面等を利用した閑静な庭園で370本の梅の木があり、初春には紅白の花が咲き乱れます。
また、800株のツツジ・樹木や茶室等の施設が点在し、四季を通じて風景を楽しむことができます。



ホームページ inserted by FC2 system